我が家は

○母である私の病気の問題

○金銭面の問題

○子育てにおいてマンパワーの不足

という3つの大きな課題を前に、果たして子育てできるのか??という大きな壁が隔たっておりました。

そこで医師・MSW・保健師はじめ沢山の行政に関わってもらいました。

 

我が家は残念ながら夫婦の話し合いの機会がなかなか取れず、医師と行政の判断から児童相談所が絡み…残念ながら生まれてすぐの息子を一旦乳児院に入所させることになりました。

タイミングと夫婦の決断が遅かった。

子どもの命を守るための乳児院への入所。

生まれてすぐの息子の記憶は残らないかもしれませんが、私たち夫婦にとっては後々とても辛い思いをすることになりました。

だって、いざ息子が生まれて抱っこしたら、可愛くて可愛くて仕方がなくて、この腕から手放すなんて絶対したくない!と強く思ったからです。

でも、生活の基盤が整わない家庭で、不安定な母親と新生児2人だけで日中過ごすことを考えると、周囲も家庭での育児は難しいと判断せざるを得なかったんでしょうね。

いまでこそそう思えますが。やっぱり今でも思い出すと辛く、涙が出ますね。

 

 

●乳児院の入所までの経緯

妊娠8ヶ月頃…保健師との面談の際に、保健師の勧めで子ども家庭支援センターと児童相談所の職員とが同席、「産後精神科に入院している間の育児について、こんなサービスを使って赤ちゃんの安全を守る手段もあるんだよ」と説明を受ける。

→乳児院は予約がいっぱいで生まれてすぐ入所できないこともある。母親が入院してしまっては育てる人がいなくなってしまうということで、とりあえず児童相談所の判断で入所手続きができるように…と同意書にサインする(軽く)。

→しかし、この同意書というのは、”いかなる判断も児童相談所の権限に従う”というようなものでした。

→出産、すぐに母(私)精神科に入院(2週間)

→息子が産科を退院すると同時に乳児院に入所…(職員が到着直後はもう抱っこもさせてもらえず、タクシーに同席もさせてもらえず、職員が持ってきた服に着替えさせられて職員に連れていかれる感じ)。

とりあえず夫と別のタクシーで後ろをついて行き、乳児院にて入所手続き・院内を軽く見学した際に、既に出来上がっていた「児童福祉施設入所措置決定書」を児童相談所職員から手渡される。

 

という感じでした。入所まではとってもスムーズすぎるくらい簡単。

・・・しかし、引き取る際が、もっっのすごく労力がかかりました。

精神と命削って、涙振り乱しながら一生懸命努力する必要がありました。

 

●息子が乳児院入所後、各々から頂いたお言葉

保健師:「まずは、赤ちゃんの命を守れるか、というところを児童相談所が判断します。生活の基盤を整えられるように、できることはサポートします。」

医者:「精神科を退院してある程度落ち着いてきたので、遅かれ早かれ乳児院から赤ちゃんは帰ってくるでしょう。でも、それは児童相談所の判断だから、医師からは何も催促できない。児童相談所から質問があれば、現在の病状を伝えておきます。」

児童相談所職員:「初めは息子くんが乳児院に慣れるまで1週間は面会禁止です。」

→聞いてないぞ!?

児童相談所職員:「以降は週に1回ずつ、2回、3回…と増えていき、最終的に一時外出、一時外泊を経て措置解除になります。」(という流れを聞き出すまでに3週間くらいかかった)

→息子と会いたいから早く返してください

→「医師の判断を聞いた上で、上の者と会議で結論を出します。」(2度ほど通院(しかも週に1回)に同席するも、なかなか返答なし。)

 

もう、とりあえず息子に会いたいが為に、必死で沢山の方に相談した結果

【私の病気について】障害手帳の申請・交付。産後2週間神経科に入院、服薬治療を続けながら病状の安定をはかる。

【金銭面】夫の転職により給料UP。私は産前働いていたので失業保険の受給申請→支給。そして、何よりも障害年金の申請→支給決定。3つの収入で借金も私の大学時代の奨学金以外は全て完済予定です。→晴れて通常の黒字家計に。

【子育てにおいてのマンパワー】まずは夫の転職により在宅時間の確保・協力を得ることに。そして、障害給付を使い育児支援ヘルパーの活用。更に日中は保育園に通園させること。

・・・といった解決策を導き出し、障害者であることで行政サービスをフル活用しました。

 

 

しかし、児童相談所が絡むとなかなか思うようにはいかず・・・

こんなに家庭引き取りの体制が整ったのに帰ってこないのはなぜ??と泣きじゃくっていたところ、

 

最終的にトドメを打たれたのは

乳児院職員:「新生児の赤ちゃんは免疫力が弱いから、生後3か月くらいまでは乳児院で過ごしたほうがいいという判断です」

というコメント。

もう、どっひゃーーでした。

そもそも本来は「私の神経科退院後、自宅療養が落ち着く2週間~1か月の間、子どもを乳児院に預かってもらいましょう」と打ち合わせていた(と記憶している)にも関わらず、どうやらなんだかんだ理由をつけ引き延ばして、結局3ヵ月間は乳児院でゆっくり預かりますよ、という話に暗黙の了解でなっていたようです。。。

 

こちらからしたら、

お役所は4月に人員異動があり、児童相談所の担当も新人に入れ替わり。

GWは担当者もきっちり連休を取り窓口も閉まるので、乳児院の話は停滞。

うかうかしてたら生後3ヵ月になっちゃうよ!もう母乳も出ないし私は何のために生きてるかわかんないよ!生まれたての第一子なんて、、一番かわいくて仕方がなくて、愛着形成に重要な時期なのに、何時になったら返してくれるの!?!?的な感じになってから、ようやく一時帰宅・外泊の話が進行しました。

息子の自宅引き取りがうまく進まず、こちらとしては必死に弁護士にも相談し、任意で入所措置という形をとったので、家庭環境が整い私の病状も落ち着いた旨を記載し審査請求も都庁に提出しました。また、都庁の児童相談所を指導する部署にも経緯を説明したり、、、

沢山問合せ、動き、面会は許される限り息子に会いに行き、

もう、毎日毎日息子を思って涙をこらえて行動しました。

 

3月21日に出産

4月8日の産院退院と同時に息子は乳児院に入所。

措置解除が決定したのは、それから110日後の7月28日でした。

いつ帰ってくるのか分からない不安で押しつぶされそうな毎日でしたが、

6月に一旦外泊が可能になり、そのまま2回目か3回目の外泊が7月末まで続きました。

8月下旬に措置解除通知がようやく届きます。

…そして現在はとりあえず幸せで平穏な生活を取り戻しております。

 

子育てのスタートラインに立つために、これだけの準備と労力が必要なのか…

と、本当に苦労し大変な思いをしましたが、、、

息子と一緒に過ごせなかった新生児期~3か月児に至るまでの、毎日注げなかった分の愛情を、これからたくさん降り注ぎつつ、

皆さんのご協力でここまでこれた現状を、できるだけ維持できるように努めなければいけない、という責務を感じております。。

 

これが、親としての責任…なのかな。

親である私たちの健全な健康管理と家計管理も含めて子育てなのかと。

 

 

 

しかし主観的になり今回は親として辛い気持ちばかりつづってしまいましたが、

息子の立場では事実上「命を守ってもらった」という事になりますね。

※でも子を愛する親からしたら…各職員の方々に悪気はないのでしょうが、半ば殺意が湧きましたね。軽く。笑

 

あとは、沢山の方々に繋いで頂いた息子の命を、今後は絶対手放さないで、自分たちの手で大切に大切に育てていきたいと思っています。

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